戦国BASARA3のメイン武将・徳川家康が織田信長について話す場面。

戦国BASARA3のメインとして登場した愛知県三河出身の戦国武将「徳川家康」ですが、
実は戦国BASARA2にも登場していたのです。
そのときは、今のような青年ではなく子供のような風貌で武器も今とは違う槍を装備していました。
がらりと変わった徳川家康ですが、ゲーム内の彼の紹介も以前とは違うようです。
徳川家康
東軍の総大将。豊臣秀吉に敗退して以来、豊臣軍の一員として耐えていました。
豊臣秀吉が世界へ向けて戦火を広げようとしていたところを、家康の我慢が限界に達して反発します。
「絆」の力で世の中を統治する。これが徳川家康の意志でした。
武力で世を統治するという考えの秀吉は、家康が率いる徳川軍と戦を始めます。
ついに、家康は秀吉を討ち取り、天下泰平のため今後も戦は避けられないとし、
持っていた武器を捨て、拳1つで戦場に赴くのでした。明るくて人懐っこい性格は昔と変わらない徳川家康です。
絆が口癖のため、「戦国basara」では使用しているとちょっぴり飽きてきてしまうのがもったいないところです。

徳川家康は、1543年愛知県岡崎市にある岡崎城で父・松平広忠と母・於大との間に誕生した男の子です。
また、戦国の三英傑の1人としても有名ですよね。
徳川家康はよく名前が変わっており、松平元信に始まり、松平信康、松平家康、徳川家康となったのです。

この頃の松平家は当時駿河の地を統治していた今川義元の傘下でした。
1554年水野元信が今川義元から離反し、尾張で勢力を拡大していた織田信秀に下ったのです。
そのため、徳川家康は幼くして母と離ればなれになってしまったのです。
1547年9月、織田信秀が三河の地へ侵攻を開始したため、
松平広忠は今川義元へ自身の息子である家康を人質として差し出したのですが、
その任を請け負った当時の田原城当主・戸田康光は今川の元へ向かうと見せかけて、
尾張の織田信秀の元へ向かったのです。
織田家へ売られた家康を使い、織田信秀は松平広忠に織田へ降伏するよう提案したのです。
しかし、その提案を断り、争う姿勢を示したため、織田信秀は家康を万松寺という菩提寺へ預けたのです。
このとき家康は6歳で、当時13歳だった織田信長と初めて顔を合わせたのです。
この後、様々な経緯を経て、尾張の主君である織田信長の元へやってくるのでした。

「戦国BASARA3 宴」では、織田信長を討ち取った明智光秀のストーリーで、
徳川家康が織田信長について話す場面があります。
どういった内容なのかは、プレイされてからのお楽しみです。

徳川家康の「戦国BASARA3」での武器は、前述通り拳です。
しかし、素手ではなく手甲です。蹴りなどの攻撃は一切ないため、非常にリーチが短いです。
複数の集団に囲まれてしまうと弱いですね。

家康の固有装備は、戦開始からフードを被った状態で出陣することができるというものです。
実はフードを被ると技の溜める時間が短縮されるのです。
溜めると威力が上がるため、非常に役に立つのです。

しかし、私たち夫婦はあまり徳川家康の操作が得意ではありません。
私は奥義「葵の極み」が好きで使用しているのですが、高難易度になってきますと、
止まって発動する奥義のため、単なる的になってしまうのです。
プスプスと刺してくるため、技が発動しないなんてことも多々あるので非常に使いにくいのです。

また「耐心盤石」という家康の強力な連続頭突きの奥義があるのですが、
高威力のため使用したいとは思っているのですが、なかなか当たらないのです。
うーん…。
いつか上手に徳川家康を使用してみたいです。
まだまだ「戦国BASARA」の徳川家康の扱いに不慣れな状態なので、もっと練習しなくては!

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